August 31 2024

プリンスと康次郎

先日京都、大津、東京とたまたまプリンス系のホテルに泊まることが続いた。中でもとりわけデカいのが大津プリンスホテル。なぜ大津にこんなバカデカいプリンスかと言えば、恐らくあの西武王国の創始者・堤康次郎が滋賀県出身だという事が大きいように思える。康次郎は言わずものがな西武百貨店、セゾングループの堤清二と国土計画、西武鉄道の堤義明の腹違い兄弟の父親である。

東急の「強盗(五島)慶太」に対して「ピストル堤」の異名を持つ康次郎には、公にされているだけでも4人の女性との間に7人の子供がいた。実際は100人を超えているのではないかとも言われた。
康次郎の葬儀には康次郎そっくりの子供の手を引いた女性が多数いたとか、西武グループ内で紙をまるめて投げれば一人くらいは必ず康次郎の落胤の頭に当たるとまで言われている。

歴史を見れば、桓武天皇の第5皇子・嵯峨天皇には50人の子ども、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉には53人の子どもがいたとされるが、康次郎ははるかにそれらを凌ぐ。
「英雄色を好む」というものの、稀に見る色情家だったようだ。不純な動機が日本経済を支えてきたことは否めないが、今ではいくら英雄でも色浴沙汰は到底受け容れられない世の中になった。

ちなみにプリンスホテルの社名は、敗戦後行われた皇籍離脱後、生活に困窮した旧宮家の土地を安く買い漁ってホテルを開業した事に由来するらしい。

ちなみに因みに、びわ湖大津プリンスとザ・プリンス パークタワー東京の設計は丹下健三、ザ・プリンス京都宝ヶ池の設計は村野藤吾である。

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August 18 2024

石見人森林太郎として死せんと欲す

ツワブキの生える野、津和野。
鴎外森林太郎はこの人口よりも鯉の数の方が多いと言われている谷合の城下町に藩医の長男として生まれている。
舞姫や青年をはじめ、高瀬舟、山椒大夫、阿部一族など森鴎外としては琴線に触れ人間味あふれる作品を描いた。一方、陸軍軍医・森林太郎としては非人間的な生き方をせざるを得なかったという、懊悩煩悶な人生を送った稀有な人物である。

軍医・森林太郎を語るとすれば、やはりあの脚気問題であろう。
明治中期の陸海軍では脚気が流行っていた。日清、日露戦争でも多くの兵士が脚気で亡くなった。鴎外も属する東京大学医学部閥が主体の陸軍では脚気は病原菌による伝染病だと目されていた。
そこに海軍軍医総監・高木兼寛が脚気は、白米主食による栄養の不均衡によって引き起こされているという脚気栄養説を唱えた。実験も行い麦飯を主食したら脚気患者は驚くほど減っていった。
しかし天下の東京大学医学部、陸軍はそんな学説的に立証できていない俗世の原理など認めるわけにはいかない。ましてや最も負けられない海軍の見解を受け容れられる訳がない。陸軍の面子があった。もちろん鴎外も栄養説を否定するしかなかった。
その結果、日露戦争においては陸軍の戦死者の半分強に当たる2万8千人が脚気で亡くなったという。麦食を導入していた海軍の脚気患者はわずか百名程度だった。東京大学医学部と陸軍の面子のために多くの尊い命が失われたのだ。

その後、鈴木梅太郎によりオリザニン(ビタミン)という新たな栄養素が発見され、脚気の原因はそのビタミン不足から起こるものであることが学説的に証明された。そしてこの梅太郎が発見した新たな栄養素(オリザニンと命名)を彼ら日本の医学会は黙殺したため、その後カシミール・フンクが同じものを発見し、バイタル(生命)のアミンということで「ビタミン」と命名され世界的に名を遺した。稲を意味する「オリザ」ではネーミング的にも弱かったようである。

しかし森家の再興を託され、優秀であるがゆえに、東京大学医学部で学び医者となり、陸軍軍医総監にまでのぼりつめたが、林太郎自身は果たしてそのような道に本当に進みたかったのだろうか?
時折、陸軍省での仕事は自分には向いていないと漏らしていたようだが、本当は人間の性を探求し、文学を探究する人生を歩みたかったのではないだろうか?
そしてあのエリスと子供と一緒にここ故郷石見で津和野川の鯉を眺めながら、静かに暮らしたかったのではないだろうか?
ツワブキの生える野で、そんなことを考えたいつぞかの師走のある日。

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August 8 2024

文喫 栄

本屋には出会いがある。
よく言われている言葉ですが、ふらっと入った時、目的の本を探している時、気になるタイトルの本と遭遇する事はよくあることです。それこそ本屋の醍醐味ですね。必然の出会いを大切にしたい。
そんな出会いとくつろぎを求めて、名古屋の文喫でひととき。いやあまりにも心地よいので、気づいたら仕事をしてました!笑

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August 5 2024

デザインの権利のはなし in 名古屋

知財権セミナー@なごやwith JAGDA創作保全委員会「デザインの権利のはなし」in ナディアパーク・デザインセンタービル。
今回のゲストは日本のサインデザインの第一人者・廣村正彰さん。あの話題となった東京2020のスポーツピクトグラムの開発者としても有名です。
たくさんの来場者で、名古屋の人達の著作権に対する想いが伝わってきます。場所も素敵!

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August 1 2024

YUMEJI

東京都庭園美術館で見る夢二。
出展作品のほとんどが岡山の夢二郷土美術館からだったけど、洋館で観る夢二は、より嫋やかであり、柔肌のぬくもりをほのぼのと感じた。
そして洋空間が醸し出すロマン的でありながらどことなく寂寥感漂う雰囲気が、夢二の人生の甘美と憂愁、そして寂寞たる人生の孤独と感傷を流露した作品と妙にマッチしていた。

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July 25 2024

「田中」と出会い

事務所設立20周年を記念して、「田中」の拡大版を昨年末から4作続けて制作している。
デザインして、印刷して、仕分けして、封筒に入れ、ラベルを張り、封をして、発送して、皆様の元にお届けする。今の時代ネットで簡単に済むだろうに、お金も手間もかかることを何故続けるのか?
それは思いもよらない出会いがあるからだ。
今までにこの「田中」はどれだけ多くの方たちとの素敵な出会いを産んでくれただろうか。「田中」があって今があると言っても過言ではない。
そして21年目を迎えた今年もまた、信じられない方たちとの素敵な出会いをもたらせてくれた。
効率ばかりが優先される世の中だからこそ、続けたい。
次号からロゴをリニューアル!乞うご期待!!!笑

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July 17 2024

芳友会報

母校の同窓会会報誌「芳友会報―創立50周年特別号」のデザインをちょこっとだけお手伝いさせていただきました。
創立当時は戦後の焼け野原に残ったコンクリート造って感じで、周りにはほぼ何もありません。ただ横には懐かしき岡山臨港鉄道が走っていました。廃線から今年で40年だそうです。今も残っていれば便利なのですがねぇ。

編集委員:大澤和弘/同窓会会長、同前達男/同窓会副会長、協力:岡山芳泉高等学校

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July 10 2024

デザインと街づくり

「一人の力で街全体はデザインできないけれど、街に溢れるポスターや看板など小さなものなら一人でもデザインできる。街は結局そうした小さなものが集まって形成されていて、その一つひとつを良いものにしていけば、きっと街全体の風景も良くなるはず。」という想いの下、都市計画コンサルタント時代の業務経験を活かし、街づくりの一環としてデザインを捉えています。
ということでちょっと前ですが、宇野内山下パーキングのビジュアルデザインを担当させていただきました。

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July 7 2024

北斎と広重

岡山県立美術館で北斎、三傑作揃い踏み。
錦絵は今で言う印刷物。もちろん触れはしませんが、やっぱりインクが載った上質な紙はいいですね。情緒が増し、世界観がより伝わります。広重の「蒲原 夜之雪」では静謐な夜に雪を踏む足音が、「大はしあたけの夕立」では激しい雨音と雷鳴が本当に聞こえてきそうです。
そう考えると、感触も含めグラフィックデザインにも紙は必須ですね。少しでも世界観を伝えたいですから。

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July 5 2024

福翁列伝1

今日から新札に変わったようで、ニュースでは新札を早く手にしたいと言う人が取り上げられていたけど、これから価値が出てくるのは間違いなく旧札であって、、、
それはさておき、慶應OBが一万円札は福澤諭吉でないと日本経済は損失を被ると新札切り替えに不満顔も仕方のない事ではあるけど、ここで福翁烈伝として有名な福澤諭吉の破天荒ぶりを少々。

十二、三歳の頃、諭吉の兄が殿様奥平大善大夫の名前が書かれた紙を並べていたところ、諭吉がドタバタとそれらを踏んで行ったら、兄から酷く叱られた。その場ではひとまず謝ったが、心の中では殿様の頭でも踏んだ訳でもないのに何が悪い。ただの紙切れじゃないか、何か構うことがあるのかと。そこからが面白い。
だったら神様の名前が書いてあるお札を踏んだら禍でも起こるのかと試しにやってみた。どうにもならない。ならば便所で尻を拭いてみようと恐る恐るやってみたが、それでも何ともない。
兄さんそれみたことか、神様でなんともないなら殿様なんて、、、
なかなかの無神論者リアリストである。

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July 2 2024

倉敷紀念病院

昨日は数年前にロゴマークをリニューアルデザインさせていただいた倉敷紀念病院さんへお邪魔しました。今秋新病棟開設に伴うとあるデザインのご相談でしたが、久しぶりに声をかけていただきうれしい限りです。
倉敷紀念病院さんは総務部のNさんの管理の下、ロゴマークなどのデザインをマニュアルを遵守して大切に扱っていただいています。実はこれはなかなかできそうでできないことなので、本当に感謝ですね。

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July 1 2024

下津井宿 風待汐待オープン

今日はロゴマークやサインなどのビジュアルデザインを担当させていただいた「下津井宿 風待汐待」のオープニングセレモニーに参加させていただきました。
管理運営者の長谷川さん、正田さんや地域の方々、そして倉敷市役所の方々から下津井に対する並々ならぬ想いがひしひしと伝わってきました。
もちろん想いだけでは事業は興せません。先立つものが当然必要で、それらをもクリアーして今日に漕ぎ着けた、長谷川さん、正田さんたちの実行力には本当に頭が下がる思いです。あっ晴れ!
この宿が下津井の更なる活性化の起爆剤となればと願っています。

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2024.5-6
2024.3-4
2024.1-2
2023.12
2023.11
2023.9-10
2023.7-8
2023.6
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